日本の民話 笛 樹狼問答(じゅろうもんどう)

日本の民話 笛 樹狼問答(じゅろうもんどう)

 ピーヒャラ、ヒャーラ、ララララ。

野をこめて、なんとも美しい笛の音(ね)がただよいますと、そこら一面の野の木や草、その笛の音のする方に葉をなびかせました。

萩(はぎ)も桔梗(ききょう)も、吾亦紅(われもこう)も、野菊(のぎく)も、女郎花(おみなえし)も、ふしぎに花の顔を向け直して、じっと、笛の音に聞き入るようすでございました。

 ピーヒャラ、ヒャーラ、ララララ。

とろけ込むような微妙な音楽、それがだんだんに近づきますと、今まで花にたわむれていた蝶(ちょう)も、蜜を求めていた蜂(はち)も、たちまち、じっと耳をすまして、うっとりになって、思わず秋草の花の上から、すべり落ちるのもありました。

「ピーイ、ピーイ、それ笛の名人が来た」
「チーチク、チーチク、早く行って、美しい音楽を聞こう」
 空飛ぶ鳥も、いいかわして、笛の音のする方さして急ぎました。

「実際、なんという古今の名人であろう」
「ほんとに私たちは、それで、どんなに慰められるか、わかりませんわ」
 秋草の野を走る二匹のシカも、はるばる笛の音に引きつけられて、音楽の方 
 へと駆(か)けるのでした。

 ピーヒャラ、ヒャラ、ララララ。

笛の名手は、そんな事を知ってか知らずか、野のはての一筋道を、山辺(やまべ)の方に吹きすましてゆくのでありました。たくさんの鳥やけものが、その笛の音の後についてゆきます。

こうして、その姿が山かげにかくれますと、今までなびいていた野の秋草はいっせいに姿勢(しせい)を変えて、やがて吹きだした風のまにまに、自然のなびき方にかえるのでした。

蝶や蜂も、ほっとわれにかえって、あらためて野の花の露を吸いました。
夕方、笛の名人は、自分の住まいしている鞍馬寺(くらまでら)の方に帰っ

てゆきましたが、まだ聞きほれていた鳥やけものは、ねぐらに帰ることも忘れて、彼につき従ってゆくのでありました。

ピータリタ、ピータリタ、ララ、ヒータリタ、タタ、リリ。

一心になお、名人が笛の音を続けますと、その調子につれて、野のけものや鳥は、つい浮かれ出して、おもしろおかしく踊り出すのもありました。

それで、笛の名人は、はじめて驚いて、ふっとその笛を吹きやめてしまいました。

はっとわれにかえりました鳥やけものも、いつの間にか、日がとっぷり暮れているのにびっくりし、鳥はただもう慌(あわ)てふためき、けものらは残り惜しそうに、めいめいのねぐらや棲家(すみか)を指して、飛び駆って行くのでございました。

「いつのまにか、また、つけられていたと見える。自分の笛は、よっぽど鳥やけものに好かれると見える。はは、どれ、もう一曲、この樹の下でこころみたら帰ることとしよう」

笛の名人は、ひとりごとをいって吹き始めました。そのうちに、月がのぼって、この樹の間から見えました。名人は、りゅうりょうと吹きすまして、思わず夜をふかしました。

ひとしきり、その笛の音は、山や谷をとおして響きました。ようやく一曲を奏し終って、笛をおさめようとしますと、突然、
「もう一曲たのむ」

と、いうものがあります。なんの気なしに、それで、また一曲吹き終りますと、
「もう一曲所望(しょもう)だ」

と、また誰かいうので、いったい誰だろうと、ふと声のする方を見ますと、そこに首が狼(おおかみ)で身体は人間の、人狼(じんろう)という怪物(かいぶつ)が、みょうな着物を着てきいておりますので、名人は驚きましたが、やがて、心を落ちつけて望みにまかせて、調子をかえた秘曲(ひきょく)を吹き出しました。

ちょうど、楽(がく)の妙所(みょうしょ)になった時、人狼は聞き入って目をつぶりましたので、そのすきに名人は、笛を吹きながら、かたわらの大木に登って行って、枝や葉の深いところに身をかくしました。

笛の音がやんだので、人狼が眼を開きますと、伶人(れいじん)の姿が見えないので、あたりを探し出しました。
時は、ちょうど真夜中で、落月が樹の上を照らし出しましたので、名人の影

が、地上にうつし出きれました。それで、人狼は、うすわらいして
「伶人はそこにおらるるか、では、自分もそこへ行って聞こう」
と、今にも樹に登ろうとしました。

ところが、その時とつぜん、空中高く声がして、
「ちくしょう、無礼いたすな、これは天下に名高い楽官藤原兼秋卿(がくかんふじわらかねあききょう)でおわすぞ」

というものがありました。

人狼は、その声に驚かされて、恐れふるえながら立ち去りました。

楽官藤原兼秋卿は、後醍醐天皇(ごだいごてんのう)の御代(みよ)の楽官で、古今きっての笛の名人だといわれております。 

参照:藤澤衞彦著 京都の民話より

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