玄信流 篠笛、横笛教室 八王子「竹の音會」は東京八王子、立川、多摩、日野近くでのレッスン、出張レッスンを行っております。オンラインレッスンもございます。
十訓抄
十訓抄
成方という笛吹きがいた。
御堂入道殿から大丸という笛をいただいて吹いていた。
素晴らしい笛であるので、伏見修理大夫俊綱朝臣がほしがって
「千石で買おう」と言ったところ
売らないので計略を立てて、使いの者をやって
「売ろうということを言った」と、根も葉もないことを言い立てて
成方をお呼び付けになって
「笛を譲ろうと言ったのは、願ってもないことだ」と喜んで
「値段は望み通りにしよう」と言って
「是非、買いたい」と言ったので
成方は真っ青になって「そういうことは申しておりません」と言う。
この使いの者をお呼び寄せになって、お尋ねになると
「確かに申しております」と言うので
俊綱はたいそう腹を立てて「人をだますのは、その罪は軽くはない」と言って
雑色所へ連れて行かせて、木馬(拷問の道具)に乗せようとするので
成方が言うことには
「時間をいただいて、この笛を持って参りましょう」と言ったので
人を付かせて行かせた。
帰って来て腰から笛を抜き出して言うことには
「この笛を持っているからこの様な目に遇うのだ。忌々しい笛だ」と言って
軒先に降りて、石を取って灰のように打ち砕いてしまった。
太夫は、笛を取ろうと思う気持ちが強いから
いろいろと計略を立てたけれども、今は何とも仕方なくなったので
罰する必要もなくて、追い返してしまった。
後で聞くと、別の笛を大丸だと言って打ち砕いて
ものと大丸は何事もなく吹き続けていたので
大夫の大間抜けということで終ってしまった。
堀河院の時代に、勘解由次官明宗といって
たいそう上手な笛吹きがいた。
ひどく気後れする人である。
堀河院は、笛をお聞きになろうということでお呼びになった時に
帝の御前と思うと、気後れして、ぶるぶる震えて、吹くことが出来なかった。
残念であるということで、明宗と親しくしていた女房に命じなさって
「個人的に、坪庭の辺に呼び寄せて明宗に笛を吹かせろ。
私は、立ち聞きをしよう」と思うので
遠慮することがなくて思う存分に吹いた。
この世にまたとないほどで、素晴らしかった。
堀河院は、感動を抑えることがおできにならず
「日頃、上手とは聞いていたけれども
これほどまで素晴らしいとは思わなかった。
ますます素晴らしい」とお話しになったので
「それでは、帝がお聞きになっていたのだ」と思うと
すぐに気後れして、あわてふためいたので、縁から庭に落ちてしまった。
「安楽塩」というあだ名が付いてしまった。
昔、秦舞陽が始皇帝を見申し上げて
顔色が変わり、身震いしていたのは
暗殺しようという気持ちを隠しきれなかったからであった。
明宗は、どうしてそんなに慌てふためいたのだろうと思うと、おかしい。